コラム

私と寫眞 第四夜 「サクラ咲けどもマスクは散らず」

auther : 営業開発部 佐藤芳孝

長男の小学校入学という一大イベントが近づいてきた。
長男が6年間通った保育園でも、穂波真太郎的な扱いをされていた気がしないでもないが、小学校にもなれば広い校庭を使った運動会などもあり、バズーカーを付けて参戦をすれば、穂波真太郎を超越すること間違いなし。
所持している一番長い望遠は300mm f/4、これではちょっとインパクトが足りないので、100万円の500mm f/4を買えば全校の注目を集め、バズーカーを構えた雄姿をSNSに投稿されちゃうのではと妄想が膨らむのであーる(キートン山田風)

さて、東京は暖冬で例年よりも早く桜が咲き始め、このペースでは小学校の入学式には散ってしまうことが予想された。
しかも満開が予想される週末から1週間ほど雨と雪の予報。
コロナ禍により、小学校の入学式もどうなるのかわからない中、桜の下でランドセルを背負った写真を残すのが親の勤めと勝手な義務感を背負い、平日に有給を取り近所の河川敷へ。
(弊社は優良ホワイト企業なので、有給取得率は8割超)

すでに不要不急の外出自粛要請が出ていた中なので、短時間で撮影を慣行。

今回は望遠ズームオンリーで撮影をした。
理由は他愛もない、写真を知らない人が見ると「わーきれい!すごーい!」と、素人だましの絵が撮れるからだ。

しかし、このような写真は、本来私の目指しているものではない。
写真というものは、リアリティ(現実感)の表現だと思っている。
このように背景を圧縮し、ヒトの目では見えないはずの背景を作り出し、最新の光学技術と撮像素子により作り出された「キレイ」な写真は、ただリアルなだけで、現実感が感じられない。

「はいチーズ!」だの、「笑ってー!」など声をかけて撮る写真は、本当の写真とは言えないと思ってはいるが、私は写真家ではなく穂波真太郎なので、子供写真においては、ついつい誰にでも理解できる分かりやすい写真を撮ってしまうのであった。

3月も残すところ1日となった頃、志村けんの訃報が日本中を駆け巡り、日本人の新型コロナウイルスに対する考え方に変化が現れる。
自粛ムードがいっそう高まり、都立学校の5月までの休校延長が発表され、こうなると小学校も休校になる公算が大きい。

入学式の3日前になり、我が市も5月6日までの小学校の休校延長が発表される。休校はするが、入学式は実施するという前代未聞の事態。
子が小学校という義務教育課程に入るのは、成長の過程として大きなステップであると同時に、自分も小学生の親という立場で30年ぶりに小学校と関わるということは、親としてのステージが1つ上がる気分であったが、これでは共に半人前。

いよいよ入学式当日。平日の実施のため、有給を取得して参加。
(弊社は超優良ホワイト企業なので、有給取得率は8割超)
好天に恵まれ、心地よい春空の下、絶好の入学式日和。

しかし、日増しにコロナ発症者が増える中、入学式の実施すら批判され、ケチの付いた入学式は、正門での写真撮影すら自粛要請。
そのため、登校前に奇跡的に桜の残っている自宅前の公園でママとの記念撮影。

午前9時台とはいえ、この時期はすでに日が高く、ポートレート向きの光線状態とは言えないが、桜の花びらに透過した優しい光が被写体を包み込み、抜群のシチュエーションを作り出した。

入学式は厳戒態勢の超短縮で辞退者も出しながら実施され、いちおう晴れてピカピカの小学一年生に。

穂波真太郎としては、入学式での緊張した表情や、始めての教室での期待に胸を膨らませた表情などを撮りたかったが、体育館ではコロナ対策で親は遥か後方に追いやられ、教室への入室は禁止。

このままでは、なにも入学記念となる写真が無いので、同じマンションに住む新一年生を誘い、朝と同じ公園で10分程度の記念撮影。

トップ光の時間帯だったのでさすがに光線状態は悪化し、妥協の産物ではあるが、親としての最低限の義務を果たしたと、勝手な自負。
こうして、入学はしたものの、初登校がいつになるのか分からないというピカピカの0年生。

我が子の写真を撮り続けられるのは、あと何年だろう。
スチル写真を撮るという文化はいつまで残るだろうか。
それ以前に、この感染症に人類は打ち勝つことができるだろうか。

「明けない夜はない」
この言葉を氷河期の恐竜も信じたのだろうか。




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